くるくる

植物は、葉っぱが蒸散する力を利用して根っこから水を吸っているんだって

入ってくるから出ていくんだと思ってた。

まずは手放すからこそ手に入れることができるんだね

常に同じ自分ではない

細胞は常に作り替えられている

体に満たされている水もずっと同じではない

植物やヒトだけでなく世の中のものすべて

どんどん変わる性質が恒常的にあるよね?

なぞなぞみたい。

私はいろいろ諦めている

最近諦められるようになった。

いや、昔から?

諦めると言うとあまりにネガティブだけど

前向きに明るく諦めている

だってどんどん変わるんだもの。

水は、

海から水蒸気になり雲になり雨になり大地に降り注ぎ

土をくぐり抜けて川や植物や生き物や空気となってわたしたちの身体も形づくりまた水蒸気に混ざる。

ヒトも蒸散してる。

生きながらにして空気になる。

亡くなったらなおさら空気の一部。

巡ってまた雲になり雨になり…まわる、めぐる。

全体の容量は変わらないまま、姿形を変えているだけとも言える。

全てひとつ。変わらないのよ。絶対的安心感。

諦めていると言うか、心底安心しているのか。受け入れている。

あなたは私だし、私はあなた。

私は歌が上手いあの人であって、澱みなく泳ぎ続ける魚であって、スィーっと空を飛んでいったツバメであって、賢い賢い道端のタンポポでもある。美味しいこのおにぎりでもあるし、あの公園の鉄棒でもある。

うーん、あまりに乱暴なまとめ方だけど。

全てを持っている。

ただ、今は、自分の形。

今の自分の形の中を巡るいろいろを受け入れる。通す。

同時に全てを持てるわけじゃ無いから、どんどん出す。どんどん出そう。

私は留めがち、出すのは得意ではないね。

葉っぱに習うと、出すことで入れられるんだから、惜しみなく出して届けなきゃ。

私の出したものは誰かに入るもの。

東京での個展を終え、長らくお待たせしていたオーダー作品の納品を終えて、ほっと力を抜いた途端、しっかり熱を出した。

なにかのウイルスを受け入れたらしい。風邪。

ウイルスも私自身ね。でも今はあなたが私の中にいるとしんどいのよ、ゴホゴホ。

鴨長明の方丈記

“ゆく川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。”

いつかの古典の授業で目にしてから、ずっと好きな一文。

それなのに方丈記ちゃんと読んだことがなくて、この風邪ひき引きこもり期間に突然思い立って、現代語訳版を読んだ。

“わが一身は空に浮く雲と考えて、あてにもしないし、不足とも考えない。”

鴨長明と気が合うわ、私。話しがしたい。

鴨長明は自分が書いたものが、未来にスマートフォンなんてもので読まれることになるなんて想像していたかな?(普段は紙で読みたい派)

全てをあきらめていそうでありつつも、方丈記を書いているし、音楽を奏でているし、そういうところ。おこがましいとは思いつつ、同じ匂いがする。

変わっていくことが常。

想像もしないことが起こる、想定もしていないことが起こることが当たり前。

楽しみたい。

時間の流れ、現在の奥行き、厚みを感じて立体的に生きられるように色んなことをしよう。

全てを同時に持つことは無理だから、できることなら会いたい人に会いたいし、食べたいものを食べたいし、やりたいことに惜しみなく時間と体をつかおう。

美しいものをいっぱい見たい。

諦めて安心しているけど、ちゃんと選びたい。

あ、外から雨の音!未来の私。

いやもうすでに私の一部だわ。だってご自慢のくせっ毛髪が一段とくるくる

YUKA

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